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名古屋高等裁判所 昭和62年(ネ)258号 判決

主文

一  原判決中、被控訴人三重県及び被控訴人伊藤雄幸に関する部分を、次のとおり変更する。

1  被控訴人三重県及び被控訴人伊藤雄幸は各自、控訴人松本武一に対し金二二二四万九九七六円、控訴人松本武也、同松本裕之に対しそれぞれ金二一七四万九九七六円、及び右各金員に対する昭和五四年二月一一日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らの被控訴人三重県及び被控訴人伊藤雄幸に対するその余の請求をいずれも棄却する。

二  控訴人らの被控訴人森幸夫に対する本件控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、控訴人らと被控訴人三重県及び被控訴人伊藤雄幸との間に生じた分は、第一、二審を通じて三分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人三重県及び被控訴人伊藤雄幸の各負担とし、控訴人らと被控訴人森幸夫との間に生じた控訴費用は、全て控訴人らの負担とする。

理由

【事 実】

控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らは各自、控訴人松本武一に対し金三六九四万七六四九円、控訴人松本武也、同松本裕之に対し各金三五七八万七六四九円、及び右各金員に対する昭和五四年二月一一日より支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、

被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、次に付加する外、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し、原判決一八枚目裏四行目の「専問医」を「専門医」に、同二三枚目裏六行目の「肺硬塞症」を「肺梗塞症」にそれぞれ改める)。

(控訴人ら代理人の陳述)

本件における膀胱膣瘻の形成原因は、被控訴人伊藤が子宮摘出後、膣断端を縫合する際、誤つて膀胱壁に針をかけ、このため縫合糸が膀胱壁に貫通した形でかかり、結紮に際して糸を締め上げるときに、膀胱壁にかかつていた縫合糸により膀胱壁組織を断裂し、穴を開けたものと考えるのが、最も合理的である。

亡倭久子は、その膀胱膣瘻が原因となつて感染症となり、その後の第二手術による体力の消耗等の事情も加わつて、遂には敗血症に至り、脳膿症、腎不全を併発して、死亡したのである。

(被控訴人ら代理人の陳述)

争う。

(証拠関係)《略》

【理 由】

一  当裁判所は、控訴人らの被控訴人三重県及び被控訴人伊藤に対する本訴請求については、同被控訴人ら各自に対し、控訴人武一は金二二二四万九九七六円、控訴人武也、同裕之は各金二一七四万九九七六円、及び右各金員に対する昭和五四年二月一一日より支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で、正当として認容し、その余を失当として棄却すべきであり、一方、控訴人らの被控訴人森に対する本訴請求は、いずれも失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次に付加・訂正する外、原判決の理由説示と同一であるから、ここにこれを引用する。

1  原判決二七枚目表五行目の「一四日」の次に「頃から」を、同二八枚目裏七行目の「松原正」の次に「(第一、二回)」をそれぞれ加え、同三〇枚目表七行目の「一四日」を「一三日」に、同三一枚目表四行目の「肺硬塞」を「肺梗塞」に、同裏七行目の「(+)」を「(+++)」に、それぞれ改める。

2  原判決三四枚目表二行目の「被告伊藤及び同森の」の次に「不法行為上の」を加える。

3  原判決三七枚目表四行目の「第一三号証、」の次に「原本の存在及びその成立に争いのない」を、同裏五行目、同三八枚目裏末行の各「松原正」の次にいずれも「(第一回)」をそれぞれ加える。

4  原判決四三枚目表六行目、同裏三行目の各「証言」の次にいずれも「(第一回)」を加え、同四五枚目表一行目と二行目の間に、行を変えて次のとおり加える。「また、当審証人山田哲男も、本件の場合、子宮全摘除術を施行したことが、結果的には妥当であつたと、証言している。」

5  原判決四五枚目表三行目の「証人松原正の証言」の次に「(第一回)」を加え、同八行目の「一四日」を「一三日」に改め、同四八枚目表四行目から同五一枚目表五行目までを、次のとおり改める。

「(3) そして、《証拠略》によると、本件のように、良性疾患の子宮全摘出術に際し発生する、膀胱膣瘻に限つて考察した場合、膀胱膣瘻の形成原因としては、(イ)子宮全摘出術を施行するに当たり、膀胱の一部を剥離する際、膀胱壁を損傷した場合、(ロ)膣断端の縫合に際し、縫合糸が膀胱壁を貫通して刺入された場合に、殊に絹糸などの非吸収糸が膀胱内に長期間残存し、これが感染源となつて、膀胱壁の壊死が生じた場合、(ハ)術後、膣断端部から出血して、血腫が形成され、膀胱壁自身に壊死を来した場合、(ニ)膣断端の縫合に際し、膀胱壁が牽引され、断裂を生じた場合の、四つの場合が考えられることが認められる。また、《証拠略》によると、子宮全摘出術の場合に、膀胱壁に針を掛け、その結果膀胱壁に縫合糸も掛ける可能性としては、(a)膣断端を縫合する際、誤つて膀胱壁の筋層に糸を掛けた場合、(b)手術の最後の段階で、後腹膜を縫合する際、誤つて膀胱壁の筋層に糸を掛けた場合、が考えられることが認められる。

よつて、考察するに、右(ロ)(ハ)の場合は、《証拠略》によつて認められる、術後の熱型からみて、さほど強い炎症所見があつたとは、考えられないので、その可能性は否定されるべきである。次に、右(イ)の場合については、《証拠略》によると、子宮から膀胱を剥離すること自体によつて出血するようなことは、通常ないが、膀胱壁を損傷したとすると、出血し、留置カテーテルからも血尿がでること、この場合の損傷部位は手術野に向かつて開放されており、カテーテルが設置されていても、損傷部位から尿がしみ出てくることが、認められるところ、《証拠略》によれば、本件第一手術中を通じて、被控訴人伊藤、松原医師をはじめ、その他の手術関与者の誰も、亡倭久子の膀胱壁に損傷を与えたという認識がなかつたことが、認められるので、結局、右(イ)の可能性も否定すべきである。

そこで、右(ニ)の場合について検討するに、《証拠略》によると、本件の場合、膣断端の結紮糸が膀胱壁の一部に掛かり、結紮に際し、糸を締め上げるときに、菲薄部が牽引されて断裂が生じた可能性が最も高いことが認められる。そして当審証人山田哲男が証言する、前記(a)(b)二つの場合を比較すると、前記のように亡倭久子の膀胱の損傷部位と膣断端とが極めて近接していることからみて、(a)の場合の方が、可能性が高いというべきである。

以上において検討したところによれば、結局本件膀胱膣瘻は、他にその形成原因が考えられないのであるから、右(ニ)の場合による形成原因によつて生じたものとみざるをえないのであり、かつ、右(a)の場合であると推認されるのである。

しかるところ、本件膀胱膣瘻が右のような原因によつて生じたとすれば、悪性疾患の場合であればともかく、本件のように、良性疾患の子宮全摘出術の場合には、膣断端を縫合するに際し、膀胱壁の一部に縫合糸を掛け、結紮するに当たり、膀胱壁に断裂を生じさせるようなことが、あつてはならないのは当然であるから、本件膀胱膣瘻は、本件第一手術を執刀した被控訴人伊藤の手技の過失により生じたものといわなければならない。原審鑑定人実川正道、同長谷川寿彦も、不可抗力であるか否かの判定は困難であるとの留保を付しながらも、現実に膀胱膣瘻が生じた以上、その原因がなんであれ、生じた結果に対しては、過失があつたといわざるをえない、という趣旨の鑑定書を提出している。もつとも、《証拠略》によると、膀胱の本件断裂部位は、腹腔側(手術野側)から見えない箇所にあり、埋没されるため、インジゴカルミンを注射しても発見しにくいことが認められるが、右の点を考慮しても、本件膀胱の断裂が、不可抗力であつたということはもとよりできない。また、《証拠略》、及び原審における被控訴人森幸夫の供述の中には、亡倭久子の膀胱壁の厚さは、通常人の三分の一であるという部分がある。しかしながら、右被控訴人森幸夫の供述によつても、通常人は八ミリメートルから一センチメートルであるが、亡倭久子は五ミリメートル位であつたところ、女性の場合は、二割位は亡倭久子と同程度の厚さであるというのであり、しかも、《証拠略》によれば、膀胱壁の厚さは、五ミリメートルから一センチメートル、《証拠略》によれば、膀胱壁の厚さは、空虚時で五ないし七ミリメートルであることが、それぞれ認められるから、亡倭久子の膀胱壁の厚さが、同女の特異体質のため、菲薄であつたということはできないし、まして、このことの故に、本件膀胱膣瘻が不可抗力により生じたということはとうていできない。」

6  原判決五一枚目表七行目の「甲第三一号証」の次に「、第三九号証」を加え、同裏四行目の「一四日」を「一三日」に、同五二枚目裏二行目の「三五分」を「一五分」に、同五四枚目表九行目の「一四日」を「一三日」に、同裏五行目、同五五枚目表一行目の各「し(糸へんに也)緩」をいずれも「弛緩」にそれぞれ改める。

7  原判決五九枚目裏一〇行目、同六〇枚目表四行目、同裏六行目の各「肺硬塞」をいずれも「肺梗塞」にそれぞれ改め、同六四枚目表一行目の「松原正」の次に「(第一回)」を加え、同六行目、同六五枚目表二行目の各「(+)」をいずれも(「+++」)に、同六行目の「肺硬塞」を「肺梗塞」にそれぞれ改める。

8  原判決六八枚目表二行目の「自分の」から同五行目の「説得するから」までを「どうしても手術をする必要があるのなら、早く」に改める。

9  原判決六九枚目表一〇行目から同裏一〇行目までを、次のとおり改める。

「7 以上において説示したところに従えば、倭久子は、昭和五四年二月一一日、敗血症による脳膿瘍により死亡したものであるが、敗血症を引き起こした感染巣は、亡倭久子の被控訴人病院における入院治療の経過に鑑みると、膀胱膣瘻以外には考えられないところ、その膀胱膣瘻は、本件第一手術における被控訴人伊藤の過失により生じたものであり、また、同被控訴人の本件第一手術は、その使用者である被控訴人三重県の事業の執行としてなされたことは明らかであるから、被控訴人伊藤、及び被控訴人三重県は、民法七〇九条七一五条により、亡倭久子の死亡によつて、控訴人らが蒙つた損害を賠償すべきである。

一方、被控訴人森には、亡倭久子の死亡の原因となるような過失を認めることができないから、不法行為を理由とする、控訴人らの被控訴人森に対する本訴請求は、失当である。8 そこで、控訴人らが蒙つた損害について、検討を進めることとする。

(一) 亡倭久子の逸失利益について

《証拠略》によると、亡倭久子は、本件疾患により入院するまで、虫垂炎の手術を受けた程度の健康な婦人であつたところ、死亡当時スナック「久美」を経営し、昭和五三年に金三四八万一〇〇〇円の所得を得、その外に、控訴人武一の営業する喫茶店「丹八」の手伝いもしていたが、喫茶店「丹八」からの収入については、被控訴人武一が昭和五三年の所得として金一四一万円の税務申告をしたのみで、亡倭久子は、喫茶店「丹八」から所得を得た旨の税務申告をしていないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によると、亡倭久子の当時の所得は、年額三四八万一〇〇〇円と認めるのが相当であり、《証拠略》によると、当時控訴人武一の一家は、スナック「久美」及び喫茶店「丹八」の収入により、控訴人武一の両親、同控訴人夫婦、その子二人の一家六人が生活していたことが認められるから、亡倭久子の生活費としては、その所得の三分の一を控除するのが相当である。

亡倭久子が死亡当時満三六歳であつたことは、当事者間に争いがないところ、本件不法行為によつて死亡しなければ、満六七歳まで三一年間就労し、前記年収と同額の収入を得ていたものというべきであるから、前記年収額から生活費を差し引き、これに年五分の割合による中間利息を控除するため、三一年のホフマン係数一八・四二一四を乗じて、亡倭久子の逸失利益について、本件不法行為時における現価をホフマン方式により算出すると、金四二七四万九九二八円となる。

(算式)

3、481、000×(1-1/3)×18.4214=42、749、928

しかるところ、亡倭久子の逸失利益について、控訴人武一は同女の夫として、控訴人武也、同裕之は同女の子として、いずれも相続により、その三分の一である金一四二四万九九七六円ずつを取得した。

(二) 控訴人らの慰謝料について

前記認定の事実によると、亡倭久子は、控訴人ら一家六人の主婦として、また、スナック「久美」の経営者として稼働する健康な女性であつたところ、本件不法行為により、控訴人武一は未だ若き妻を失い、また、控訴人武也、同裕之は、未成年のうちに母を失つたのであつて、これにより受けた精神的苦痛が甚大であつたことは、容易に推認しうるところである。その外、本件証拠により認められる諸事情をも斟酌すると、控訴人らの蒙つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、控訴人ら各自につき金六〇〇万円と認めるのが相当である。

(三) 治療費について

控訴人らは、治療費として被控訴人病院に支払つた金七万九九九九円が、本件不法行為による損害に該当する旨主張するところ、《証拠略》によれば、亡倭久子は、昭和五四年一月一七日、産婦人科の治療費等として、被控訴人病院に対し金七万九九九八円を支払つたことが認められる。

しかしながら、前記認定の事実によると、亡倭久子は昭和五四年一月四日、被控訴人病院を設置運営する被控訴人三重県との間で、子宮全摘除手術を受けること等を目的とする診療契約を締結したのであるから、被控訴人三重県は右診療契約に基づき、その診療行為に要した費用を、亡倭久子に対し正当に請求しうるものというべきである。したがつて、亡倭久子の右治療費の支払いをもつて、本件不法行為による損害ということはできず、この点に関する、控訴人らの右主張は、失当である。

(四)葬儀費用等について

弁論の全趣旨によると、控訴人武一は亡倭久子の葬儀費として金五〇万円を支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右葬儀費用の支出は、本件不法行為と相当因果関係にある損害と認めるべきである。

しかしながら、控訴人武一が、墓碑建設費として金三〇万円、仏壇購入費として金三六万円を支出したとの点については、これを認めるに足りる証拠がない。

(五) 弁護士費用について

本件事案の難易度、請求額、認容された額、その他諸般の事情を斟酌すると、控訴人らの請求する弁護士費用各金一五〇万円は、本件不法行為と相当因果関係に立つ損害と認めるのが相当である。

9 そうすると、被控訴人三重県及び被控訴人伊藤に対する、控訴人武一の本訴請求は、金二二二四万九九七六円、控訴人武也、同裕之の本訴請求は、それぞれ金二一七四万九九七六円、及び右各金員に対する本件不法行為の日である昭和五四年二月一一日より支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当として認容し、その余をいずれも失当として棄却し、また、被控訴人森に対する控訴人らの本訴請求は、いずれも失当として棄却すべきである。」

二 以上の次第で、原判決中、これと異なる被控訴人三重県及び被控訴人伊藤に関する部分を、右の趣旨に変更し、被控訴人森に関する原判決は相当であるから、同被控訴人に対する控訴人らの本件控訴を、いずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担について、民訴法九六条前段、九五条本文、九二条本文、九三条一項本文、八九条を、仮執行宣言についてはこれを付すのを不相当と認め、これをつけないことにして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老塚和衛 裁判官 水野祐一 裁判官 喜多村治雄)

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